23. 在宅介護総括 <了>

在宅介護には良い面も大変なこともたくさんあった。今回はコロナ禍、緊急事態宣言下という特別事情がその余儀ない“選択”に繋がったが、その影響は、最初の懸念材料となったお風呂サービスの提供を受けられることになったことで、小さく抑えられた。

一番の問題は「不在」が不可能なことだった。食事を家族の手だけで担当することになったことで、担当1名(+サブ担当1名)では短時間以外外出ができなくなった。嚥下困難の場合、ショートステイや時間預かりも引き受けてもらえない。この問題は大きい。10ヶ月間、週末の外出は予定を合わせて幾度か引き受けたが、姉は平日ほとんど外出していない。メールやネットでの連絡、買い物が随分と楽になったとはいえ、介護する側も生活、メンタルを保つ工夫がいる。介護サービスに助けてもらっているが家族の負担は大きい。この対応ができるのは会社などで働いていない人に限られるに違いない。私自身は「母の次の世代なので、手伝いはするが、仕事や生活を譲ることはしない」と明言していた。

食べられなくなった状況が1週間ほど続き、最期を覚悟した。生きていて欲しいと思ったが、苦痛が続かないことを願いながら側にいる日を増やした。もしかしたら食べられるかも。食事に関しては大分信頼をしてもらっていたと思うので尚更だ。しかし、私も休みが増え、期間のわからない対応に悩んだ。旅立つ前に、母に1日仕事にいかせてもらい、待ってもらった私は、また母の強さをみたように思う。

完全や正義はない。

 

結果的に10ヶ月で終わってしまった介護。姉は「私は向いていると思う」と言って長時間母を支えてくれたし、母との楽しい時間もあったと思う。私は一端を垣間見たに過ぎないが、様々な人が様々な形で利用している介護サービス、まだ改善の余地は多いように思う。

 


<了>

読んでいただきありがとうございました。  





 

22. 生命

生命とは不思議である。

母と繋いだ手はそのままで、もし呼吸を止めたのを見ていなかったら、私は母が亡くなったことに気づかなかったかもしれない。むしろ、それまでおそらく酸素不足で紫がかった色をしていた手や喉の周りに肌の白さが戻ってきた。母は自分で目を閉じることができなかった。彼女の命はどこで終わったのだろう。ここでは科学的詳細は問いかけの外であるが、呼吸―心臓の拍動―意識―脳の働きー残された身体。それがだんだん固くなり、水分を失っていく。明日、骨を残して自然に帰っていく。

“生”を受けて、呼吸、心臓の拍動、そして意識。空気と食で自らの身体を育み、人格を持つ人となり、生命を継なぐ。

彼女の意識はどこで停止したのだろう。

 

 







 




 

21. 死亡診断

丸1日起きていた母を置いて仕事に。夕方、ハアハア苦しい息をしていると連絡があり、当日は諦めて、翌朝母のところへ。姉によると夜中起きていたらしい。丸2日だ。ハアハア息をしているところで、少し口の中をきれいにしたが、もう口が開かない。息が急に落ち着いて弱くなった。潤いの落ちた目に点眼し、外が見えるようにカーテンを開け、外の空気が入るように開けた。弱々しい母の手をとっていることしかできない。呼吸が止まる。「電話して」と姉に伝えると、母が後一息。まだ、大丈夫か。でも、それが母の最後の息だった。

呼吸の止まる少し前、母は大きく目を開いてこちらを見たと思う。母にはわかったと信じたい。しばらくの間手をとっていたが、呼吸が止まった以外に変化は感じられない。心拍は確認しなかった。約30分後、看護師がきて、「お亡くなりになっています」と言った。ここで繋いだ手は離さざるを得なくなった。医師は後から来るとのことで、その前に身体をきれいにし、着替えを行った。医師は死亡診断をし、死因は「老衰」とした。死亡時刻は看護師の診た、10:30 推定。

母が息を止めたのは、私が実家について30分も経っていなかった。お母さん待っていてくれてありがとう。姉さん、一緒に待っていてくれて感謝。母は、私を待っていることで、姉を守ったのだと思っている。

万感の感謝を込めて、アデュー。

 

   

 

20. 最期、眠らない2日間 

「食べられない」事態がやってきた。水分点滴をし、喀痰の除去をし、合間の落ち着いたところで食事を試みるが、飲み込むことができない。この状態で少し苦しそうな呼吸を続けていると口の中が乾燥してくるのがわかる。お茶をストローにためて少しずつ横になっている母の口に運ぶが、これも量を増やすとムセてしまう。痰に胃の内容物様のものが混じったところで、気持ちが見守るに切り替わった。生きていて欲しいけれど、苦しい時間が続かないといい。食べられなくなって1週間だ。

最後と決めた水分点滴の後、大分とタンに苦しみ、大方出し尽くしたと思われたところで、少し息は苦しそうだが、暫しの静穏。今週は休暇をとっていたので、ここで1.5日の仕事に行くことに決めた。

最期の2日間、母は眠らなかった。

夜になっても目を開けている。傾眠傾向が強かったここのところとは違う。私の方が眠くなって「お母さん、眠いので寝る」と言って部屋で睡眠をとる。夜中に2度目を覚まし見にいくと、同じように目を開いて、横向きでベッドの柵を握りしめている。こうなると、つぶらな瞳というより、迫力さえある。後で考えれば目を閉じることができなかったのであろう。朝早く出勤。

 







 

19. 命の長さ

「命の長さ」は誰にもわからないが、人の関わる部分もある。それが医療だ。診断、治療、いずれも命の長さに影響する。時にはダイレクトに。また、政府のコロナ対応としての緊急事態宣言も、コロナではない患者の「命の長さ」にも大きな影響を与えたはずだ。今回、私たちは母の在宅介護を選ばざるを得なかった。病院に面会に行けない状況でコミュニケーションがにわかに難しくなった母を病院に入院したままにしておくことはできなかった。入院期間中、母はほとんど点滴でのみ栄養をとっていた。病院が「完全看護」を目指しても、実際に状況によって難しいのは明らかだ。私たちとしては「必要な付き添い」のつもりが、「面会」として断られた。書きたい「命の長さ」はもう一つある。在宅介護には「最期」が伴うことが少なくない。母の場合、私たちの提供する食物が取れるかどうかは、母の命の長さに影響した。栄養不足が顕著となったところで、水分補給としての点滴を提案され、依頼した。この対応も看護師だ。後にわかったことで、これは反面、痰の量の大幅アップに繋がり、食べるのを難しくした。バランスは難しい。端的ではないにしても、母のQOL(生きることの質)、生きる時間に影響したはずだ。「命の長さ」は神のみぞ知るだけではなくなってきたのかもしれない。医療には期待、感謝しつつも、自身の選択、QOLを大事に生きることを忘れないようにしよう。

 







 

18. 介護サービス

介護サービスには多くの医療人が関わっているが、基本的には医療はあまり提供しない。医師、看護師は体調を見て、血圧、熱を計り、聴診をしてくれる。必要な時には、パルスオキシメーターで酸素飽和度を測定し、排泄介助もしてくれた。基本的体調管理という意味ではもちろんサービスを受けている。負担の少ない範囲でのリハビリも実施してくれていた。何かあると看護師に相談できるのは有難い。ヘルパーを含めて、介護サービスには元気で、テキパキした人が多く、気持ちよい。しかし、最初の契約時から伝えられたとおり、栄養点滴等はしない。去痰も装置貸与と説明を受けたが、サービスとしては実施しない。食にはリハビリも含めて関わらない。何より、熱があると連絡したが、特にできることはないとのことで、保冷剤で冷やすことを教えてもらった。このあたりになると「在宅介護サービスとは何か?」を考えることになる。

調べれば、「介護とは意思を尊重しながら、生活をサポートし、自立支援をすること」とある。この説明には納得が行く。では、サポート、自立支援の範囲を規定しているのは、介護サービスの提供者とその契約にあるのだろうか。介護の先にはおそらく看取りなどが想定されることから、医療の関わりもわからなくはない。母に関しての私の希望を述べるならば、せっかく医療が関わるのであれば、もう少し治療よりのサービスであっても良かったのではないかと思う。

介護サービスを受ける状況は様々で典型的一般論はあまり役立たない可能性もある。特にコロナ禍で影響を受けた今回は、通常とは異なる対応が必要だった可能性も高い。しかし、必ずしも回復が不可能と決まった人ばかりが対象とは思えない状況に鑑みると、もう少し小回りのきく「医療より」「リハビリより」「支援より」等のサービスのバリエーションを望みたくなるのは、贅沢だろうか。

介護いただいた方々には大変感謝している。

 







 

17. 姉

姉は都合で実家に戻り暮らしていた。そんな中、母が脳梗塞で入院となり、病院に見舞いに通った。コロナ禍により家で介護のメイン担当となったのは、前述の通り。最初の介護サービスの怒涛の契約にたじろいだかに見えた。しかし間もなく、「私向いているかも」と言って、毎日オムツ交換と3回の食事を担当した。元々、母と一緒に住んでいたので、付添や見舞いに行けないなら病院よりいいとは思ったが、これは有難かった。母との会話も私とよりスムーズだ。私はしばしば聞き取れず、姉に通訳(?)を頼んだ。

玉に瑕は、多少不器用で、食べてもらうのに時間がかかり、母には少し負担が大きかったかも。けれど、それは仕方ない。週約4回の介護サービスの人たちは、気持ちよく元気な人が多いと見受けられた。姉は介護スタッフとも馴染んだようだ。向き不向きで言えば、私とのシェアリングは補い合う形になっていたと思う。その仕事力、今度は別の何かに活かして欲しい。