9. 車イス

少し春めいてきた頃、母が車イスに乗れるのではないかという話が出て、車イスもレンタルすることになった。看護師やヘルパーが姉と一緒に車イスで何度か外出をさせてくれた。座っている状態が安定とは言えないが、母は外出を好んだ。元々家庭菜園を好んだ両親、手入れこそあまり良くなかったが、母は外や植物が好きだった。

用意された車イスは、マニュアルで軽くて扱いやすい。ベッドから乗せたり降ろしたり、外出用に上着を着せたりはちょっと大変だ。頻回には出かけられなかったが、それでも良かったと思う。桜の頃、一緒に車イス散歩に行った。花屋で小さな花(インパチェンス)を購入、母は「蕾がたくさんあるのがいい」と言った。元気な頃社会活動をしていた「交流センター」の前に立ち寄り、小学校の桜を眺めて帰ってきた。車イスを押すのも多少の運転感覚はあるといい。押している側には、顔、様子がわかりづらいので、母くらいの体調だと2人付き添いが安心。夏は体調も悪そうで、暑くて、秋になったらまた行けるかな、、は叶わなかった。

 







 

8. オムツ

最初に脳梗塞を起こしたとき、母は家でのトイレ後処理が難しくなり、大量のトイレットペーパーを使うようになった。そして、トイレットペーパーでトイレが詰まる事件が起きた。対応に大わらわ。とりあえずの対策は

  • ロールペーパーを取りやすくする。切ったのを置いておく。
  • 山小屋方式でダンボール箱にトイレットペーパーを捨ててもらう。

で、本質的ではないが短期的解決をみた。

 

要介護状態で家に来てからは、既にオムツ必須の状態になっていた。とても残念。推奨のオムツの交換1日5〜6回。不可能。介護する方もされる方もダウンしてしまう。ゴミの量も多すぎ。真面目な交換方法だと1回の交換でも何度も身体の向きを変えなければならない。姉によるオムツ交換は1日3回くらい、3x7=21回/week。このうち4回/weekは、看護師、ヘルパー、訪問入浴サービスが行ってくれた。だんだんと身体の向きを変える負担の軽減を迫られ、少々雑だが負担の少ない方法へ。これは母にも姉にも多少幸したのではないかと思っている。もちろん私にも。私自身は手伝ったし、代われるスタンスを保ったものの、あまり行っていない。私は主に食事担当。これは性格、資質を反映した役割分担となった。

 









 

7. コミュニケーション

母はよく日記を書いた。家計簿を書いた。入院時に、話が聞き取れないことが増えた。書いてもらおうと紙とエンピツを差し出すと、書いてくれるが、ラインがずれたり重なったりして読めないところが多い。読めるところはわかるので、きっと読めないところもちゃんと書いてあるはず。頭脳は大丈夫そうだ。書く方が覚束ないか、何かが少しずれているか。病院とのコミュニケーションは極めて悪い。希望退院(というのか?)してきた時には、いろいろな力がさらに低下していた。話力、筆力しかり。書いてもらおうとするが、ほとんど書けない。母は世代的にも私たちが、カタカナで書くようなメモまで漢字で書いていたので、とても残念。買い物メモは、胡瓜(キュウリ)、南瓜(カボチャ)、葱(ネギ)、、、とか。でも、書こうとする気持ちと、持たせた鉛筆をキープする力が最初は残っていた。だんだんリハビリになり、渡そうとしても鉛筆を持たなくなった。徐々にいろいろなことができなくなっていくのを見ているのは辛い。

 











 

6. 薬

利用しているのはクリニックの介護サービスだが、薬は薬局からとのことで、馴染みのある薬局を選んだ。介護中の外出が難しいこともあり(半分は気持ちの問題で、おそらく短時間の外出は問題ない)、配達してくれることになった。これも契約だった。当初は脳梗塞後の予防的措置としての薬(バイアスピリン)と胃薬、そして、下剤。砕いて、らくらくごっくんゼリーと混ぜるが、最初からすごく飲みづらそう。ただし、らくらくごっくんゼリー自体は美味しいみたいだ。薬はゼネリックも含めて剤形、成分にバリエーションがあったので、何が飲めるか、潰せるか、呑みやすそうなのをと頑張って交渉した。薬は潰していいものばかりではないので、ご注意を。しかし、結局あまり飲めずに減らす破目になり、途中で医師が「なくても、、」といい、断念。結構多い下剤は何のためという疑問は最初にあった。お通じは悪く、早めから看護師による便の書き出しに頼ることになるが、そこまで一生懸命やると、患者も疲れるのでは、という感想。素人考えだが。

 







 

5. 訪問入浴サービス

介護のスタート時に入浴サービスを紹介された。しかし、東京在住の私が行くと、2週間は来られないという、、、。コロナ禍だ。

そうこうするうちに、東京から人が来てもOKという業者があり、訪問入浴にきてもらえることになった。家の状況次第らしいが、実家のお風呂ではなく、組み立て式お風呂にお湯をはって入れてくれる。半分のバスタブをつなげて組み立てを行い、車に積んだ装置で湯を沸かし、お湯をはる。ベッドに寝ている状態からそのまま移動させ、身体を洗い、シャンプーをして乾燥させ、着替えをしてくれる。有り難いシステムだ。湯は車で沸かしているが、車はそう大きくはない。ラッキーだったのは実家に広縁があったこと。ここが入浴場となった。

看護師を含む3人で実施、事前に血圧等のチェックをしてくれる。手際良く機動的、本当に有り難い。母は亡くなる前週を除き、毎週お風呂に入ることができた。時にはほとんど眠っているのではないかと見えることもあったが。

 







 

4. 食事前後ルーチン

食事の前にはちょっとしたリハビリを続けていた。

・「あいうえお」を2回くらい発声。

・舌を上下左右に動かす運動。舌が動かせるかどうかは、ある程度飲み込みのバロメーターである。

・その後、口腔用スポンジで口の中を水で潤す。

だんだん舌の位置が後ろにいってしまうことが多くなり、これは呼吸と食の両方に影響した。舌準備として舌の上にムースを乗せらせるようにすることで、食べてもらうようになった。なかなか「ベー」ができない。

・ウガイ(というか水での濯ぎ)

 

食後に簡単な口内清掃と、1日1回のハブラシによる清掃、ウガイを実施した。ウガイは母に受け皿を持ってもらい(母の唯一の仕事だ!)コップで口に水を含ませ、出してもらう。すっきりしていいし、母に唯一のルーチンの仕事をしてもらえた。最後に口に残った水を飲んでしまうとむせる。口の中に水を残さないようにする。

 

母はもともと上顎に入れ歯を入れていたが、入院で入れ歯をしない間に合わなくなり、使えなくなった。私は入れ歯がある方が食べやすい(飲み込みやすい?)のではないかと思ったが、看護師によるとそうでもないらしい。嚥下困難のリハビリについては、最初に入院した病院で退院後用に案内をもらったが、病院では実施されていなかったようである。タイムリーにテレビ番組でも嚥下困難者用のリハビリの話題が取り上げられていた。廃用と言って、使わないと機能が低下することから、口のトレーニング、よく話すこと、は重要とのこと。

 

 

                                         



 

 

3. 食 (1)

食事のメインは「ムース」。様々な栄養が入っており、お湯で溶かし固め、柔らかいムースを作る。お茶などの飲み物は “とろみ ”をつける。

嚥下困難者の食事のキーワードは“とろみ ”。トロミ のない食品、飲料は飲み込みが難しい。お茶にトロミ、水にトロミ、食品は柔らかく。トロミをつける用のパウダーは多種類売られているが、主成分はほぼ、”デキストリン“”増粘剤”である。最初は怖がって、飲み物に多めに入れていたが、飲み物と食べ物は異なる方がいいと思えるようになり、飲み物のトロミは少なめにした。見た目はそれほどでなくとも、入れた分のトロミはついている。

最初の頃は様々な食品を試した。紹介された栄養食品やネットで探した食品。母は味がわかるという救いの中、食感が同じなら大丈夫と考え、茶碗蒸し、簡易ミキサーを使って、スープ、味噌汁、カボチャなどを試す。スープや味噌汁は比較的食べてもらえることが多かった。不評のものも少なくなかった。味が合わないもの、食感でむせてしまうもの。ダメなら基本の「ムース」に戻る。食品の柔らかさ滑らかさのほか、時々の母の状態や、こちらの準備、口への運び方などにも依存していたと思う。食べてもらえると嬉しい。

使っていたスプーンはK+という嚥下専用のスプーン。スプーンの窪み部分の形と柄の長さが特長。刺激機能もあるようだが、我が家で使うことはなかった。食物が気管に入ってしまう”誤嚥”に気をつけるように言われたが、これが気になることはあまりなかった。ただ、母は良くむせた。食べてもらおうという気持ちが少し無理をさせることにつながったかもしれない。母はむせることで誤嚥しなかったのかもと思う。